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本学における新型コロナウイルス感染者発生状況について以下にお知らせいたします。 2021年7月19日現在の感染者数(療養中) 教職員 0 学生 4 ※感染者やそのご家族の人権尊重・個人情報保護にご理解とご配慮をお願いします。 ※現在、保健所等の関係機関と協力するとともに、感染者の構内立入場所の消毒・濃厚接触者の自宅待機等、必要な措置を講じております。 ※本学では、引き続き全学的な感染防止対策を徹底してまいります。 【問い合わせ】 対策室
学校法人武蔵野大学では、学校教育法施行規則等に則り、教育・研究、財務・評価、学則・規程の情報を公開しています。 ● 教育研究上の目的 ●3つの教育方針(入学者受入・教育課程・学位授与)( 通学課程 / 通信教育部 / 大学院通信教育部 ) ●履修案内( 通学課程 / 通信教育部 / 大学院通信教育部 ) ●令和3年度 実務経験のある教員等による授業科目一覧( 通学課程 / 通信教育部 ) ● 女性活躍推進法に基づく一般事業主行動計画 ●高等教育の修学支援新制度に伴う大学等における修学支援の確認申請書( 令和元年度 / 令和2年度 )
武蔵野音大はレベルは高いですか? 19人 が共感しています ベストアンサー このベストアンサーは投票で選ばれました 国公立の3つの芸大をトップとして考えると、桐朋が別格、東京音大が続いてます、国立音大、武蔵野あたりは、それらの音大の滑り止めとされる事を思えば低くはないでしょう。勿論もっと低いレベルの音大からすれば高いんでしょうけど、どこの視点から見るかですね。 8人 がナイス!しています その他の回答(3件) 武蔵野音大のレベルは、専攻科によると思います。 現在の状況で言いますと、打楽器科、ピアノ科、声楽科、管楽器科(フルート、クラリネット、トランペット、トロンボーン)は、他校と比較しても見劣りしないのではないかと思います。 大学全体としては、「吹奏楽に強い」という印象が強くありますが、近年は昭和音大に押され気味です・・・。 科によるけど、全体的には藝大、東京音大、桐朋、国立の次くらいでは? 武蔵野も、昔は今より、ずっと良かったと思いますが。。。 2人 がナイス!しています 東京芸大、国立、桐朋につぐレベルではないでしょうか。そこそこですね。
大学概要 音楽学部 大学院 入学案内 コンサート情報 キャンパスライフ イベント情報 別科・社会人講習会等 受験生の方へ 在学生の方へ 卒業生の方へ 一般の方へ アクセス 江古田キャンパス 入間キャンパス パルナソス多摩 English 中文 한국 武蔵野音楽大学 無効なファイルです。
進学を考える際に学費の問題は避けて通れません。実際に美大の学費はどれくらいかかるか知っていますか?
武蔵野音楽大学は、かつてはかなりの学科数があったのに、4年前からその数がかなり減ってますね!やはり、志願者が少ないのかまさか定員割れしているとか? 私立全般に言えることのようですが、志願者数に比して定員が多い・・・ハードルを下げる・・・学生の質が落ちる・・・の悪循環に陥っているようです。 ThanksImg 質問者からのお礼コメント なるほど、そうですね! お礼日時: 6/29 23:55 その他の回答(1件) 演奏学科の中に、演奏系の学科を詰めて 音楽総合学科の中に、演奏系以外の学科をまとめた感じです。 学科から見たら減った気もしますが、数は変わってないと思います。 別科やヴィル専攻マネジメント専攻など、昔よりコースは増えていますが その背景には仰るように定員数を確保できない問題や、クラシック音楽を学びたい学生が少なくなっているのも影響してますね。むさ音だけではないです。 上野学園大学が今年から新規学生募集停止されていますね。
ドビュッシーをテーマにした卒業論文を仕上げ、そこで就職するという選択肢もあったのですが、やはり音楽学を続けたいという気持ちが強く、そのまま大学院に進学しました。その時から20世紀フランスの作曲家、特にオリヴィエ・メシアンの創作を研究テーマとするようになりました。 メシアンというと、当時はまだそんなのを研究してどうなるの?という雰囲気でした。修士論文でメシアンの『アッシジの聖フランチェスコ』というオペラをテーマにしたいと先生のところに相談に行ったら、開口一番に、「それ以外にはないの?」と言われてしまいました。持ち帰ってよく考えたのですが、やっぱりこれがいいということになって、もう一度先生のところに行きました。そしたら、「じゃ、そうしなさい」と認めてくださりました。論文を書き上げた時、先生は、「ダメだと言われても、それをやったのがよかった」と言ってくださりました。それが今の私の学生との向き合い方につながっています。 ― 具体的に言いますと? 先生は豊かな教育経験をもっていらっしゃるので、このテーマではうまくいかない可能性があると判断されたのだと思います。それでも、若い世代にはご自分の基準では測りえない何かがあるという考えをおもちでした。そのような先生の大きさが、今、私が学生と向かう時の根本をつくっています。 話が戻りますが、大学院在学中にフランス政府からの奨学金を得て2年間パリに滞在しました。そこで画家・作家であるコニャック神父と出会い、意気投合しました。もうご高齢だったのですが、パリの友情に年の差は関係ありません。波長が合うかどうかが一番です。彼とは芸術とは何か、夢とは何かなど、いろいろな話をして時を過ごしました。2年間の滞在期間が終わり、後ろ髪を引かれながら日本に帰ってきたあと、どうにか博士論文を書き上げ、研究者としてのスタート地点に立つことができました。 ― ドビュッシーからメシアンへ、先生にとって研究とはなんでしょうか?